世の中に不必要と思われるものが存在している意味

世の中に不必要と思われるものが存在している意味
世の中に不必要と思われるものが存在している意味
ががるね

運動でも仕事でも無駄をなくしパフォーマンスを上げることって常識ですよね。しかし今回はあえて一見不必要に見えるものに価値がないか考察してみました。

プロレス界の伝統的トレーニング

昔からやってきたトレーニング法

スポーツ・武道などの世界では昔からある伝統的なトレーニングというものがある。それらのものは現代のスポーツ科学では非効率とされ否定的な見方が多くなってきた。

あるプロレス団体では基礎トレーニング後の締めに、スクワット1000回をしているという。現代のスポーツ科学ではそんなに回数はしなくても効率的に行えば、筋力、持久力を増幅させることはできるというだろう。

つまり非効率、非科学的で無駄なトレーニングが多いということである。「昭和時代の根性論」と揶揄されるわけである。

プロレスでの私

実際私がプロレス団体に入っていたときも、きつい基礎練習が毎日のように続いた。効率がよいとか悪いとか言える立場ではなかったので(先輩の言うことは絶対の世界)黙々とトレーニングをしていた。毎回限界かそれを超えるところまでを求められていた。

時短効率化を求める私は(できるかできないかは別として)「根性論トレーニングは非効率」とおもっていた。

しかし、ここで「根性論」揶揄されるトレーニングに良いこともないだろうかと考えた。いままでの考え方を180°かえてみた。いろんな物事は見方を変えれば良くもなるし悪くもなる。

体力が限界の時どうするか

プロレスの試合は過酷で時間が進むに連れ、体力が限界に近づいてくる。そこで踏ん張れないと勝利できないし相手の繰り出す技を安全に最小のダメージで受け止められなくなる。実際の試合後、ダメージを受けまくりボロ雑巾のようになってしまい帰宅途中の駅の階段などでは手すりにつかまりやっとのことで家にたどり着いたこともあった。

練習の時、ボディースラムを何十回も連続で受けた時がある。最初のうちは着地した時首を少し上げて安全に受け身が取れれば体が楽だが、連続で受け身をとっていくと首が疲れてくる(トレーニング不足だが)そのうち頭を強打するようになり打ちどころが悪いと脳震盪や吐き気がしてくるのだ。

実際試合の後半、試合にもよるが体力の限界まで近づくと受け身に失敗しやすくなる。限界になっても力を発揮できる体力が必要なのである。筋力トレーニングで体力、根性はある程度身についてはいくがそれ以上の何かが必要なのだと思う。

限界を超えるちから

火事場の馬鹿力という言葉が昔からある。家が火事になった人が普段は持ち上げられないタンスをもちあげたって話だ。人間は自分の限界を勝手に決めてしまっているのだ。限界を超えたところに、そこに至った人しかみれない景色があると思う。富士山に例えると、5合目の景色もきれいだが、7合目、8合目の景色もまた違ったものとなるのだ。頂上になるとまさに絶景だろう。

厳冬に滝に打たれて修行する修験者も、その水圧と冷たさに肉体の限界に到達するそうだ。それを経て通常の人からは考えられない能力が開花するそうだ。

どこまで挑戦するのか、あるいはしないのか。全ては自由な意志である。しかし登りつめたものしか見えない風景はまた格別である。また乗り越えてきたことでの自信はその人の生涯にとっての心の財産になるだろう。

他にもある無駄・非効率に思えるもの

いじめ

ある女子プロレスラーがインタビューで語っていた。「新人時代にいじめられないでスターになった人間は一人もいない」と。いじめられない新人もいたのだがそういう人は気が利いて上手く先輩に取り入り気に入られた人だけだった。でもそういう人たちは誰一人として残らなかったそうです。

先程は「体力」の限界の話だったが、今度は「忍耐力」の限界の話だ。「いじめ」を私は良いことではないと思っているが、「忍耐力」を付ける唯一の方法はネガティブなものでしかない。快適な環境や快適な人間関係だとしたら身につかない。

過酷な環境・境遇が育むもの

幼くして極貧な人がのし上がり金持ちになる原理はここにあるかもしれない。芸能人で子供のころ家が貧乏すぎて大変だったと言う話もよくTVで耳にする。

本人の望まない辛くて、不快な環境、境遇が人間をつくっていくのであった。

一見非効率、無駄、悲惨に見えるものが人間の「こころ」を強く作っていくのかもしれない。

すべての日常の行動に言えること

プロレスの例えが多かったが、これはプロレスに限った話ではない。あらゆるジャンルで言えることである。普段の仕事でも最初きつくてすぐに辞めようと思っていた仕事を耐えながら続けていくと、以前はきつくて仕方がなかった仕事がだんだん楽にこなせるようになってくる。

何が嫌とか苦手というのは個人個人違っているが、嫌なことを続けている方が成長はするものである。楽で快適なのは一見幸せそうに感じるが、成長が止まっているということである。人間は挫折しながら少しずつ成長しているからこそ他人の気持ちを理解し思いやりを持つことができるのだ。

良いこと、悪いことを含めてあなたが日々していることで、学べるのである。人間としてい生きている以上、良いこと悪いことがどちらも来る。どちらか一方を選ぶことはできない。例えば裕福な家庭が幸せと思う人が多いかもしれない。しかし私がカウンセリングで浮気相談を受けたのは裕福な家庭の人ばかりだった。

起きていることが「良いこと」か「悪いこと」に関わらず、すべては人生の養分となっていく。そう考えると良い悪いは両方必要なものとして理解ができてくる。より器の広い人間ができてくるのである。

まとめ

思いどおりの人生であることが必ずしも、その人にとって良いこととは限らない。人生の長いスパンでみれば、大変だったこともその人の力となるのである。

その大変な時からの経験を見聞きした人たちがまた元気づけられるのである。一人の人の経験が時に、たくさんの人を深く癒すのだ。

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梶原 ひかるこのブログを書いている人
神奈川県相模原市出身のトランスジェンダーアーティスト。幼少より周りとは違う性自認に悩む。音楽をつくることが励みとなり、生きる希望となった。 音楽は心のエナジードリンク。 音楽は渇いた心を潤し、未来への活力を生む。 音楽は心のエクセサイズ。 落ち込んだ気分を癒やし、リラックスさせてくれる。そういう愛のある音楽を心を込めてお届けしています。【Tetoria】キャットファイト・役者では【びりりあん みりんだ】名義で活躍しています。お仕事の依頼もお待ちしております。